【36℃】

      本、映画、音楽、サブカル、諸々。

最近読んだ本

先月読んだ本。
とりあえず記述することでアウトプットの機会にしようという魂胆。
ただ記しても記憶できなさそうだからタグ付けみたいなことをしてみた。



フィクション

おぞましさの中で明るく暮らすことについて
・ 辻村深月 『凍りのくじら』
・ 井上靖 『あすなろ物語』

『凍りのくじら』はドラえもん好きな女子高生の物語。他人を少し見下しつつ、他人を少し求めつつ。
そんな彼女が様々な人との出会いの中で、人間の恐ろしさとひたむきさを知る物語。
ドラえもんをどう料理するのかと気になっていたけれど、読み終わると確かに「ドラえもん」チルドレンの話だなと思う。

『あすなろ物語』については、非常に冴えた短編だったという事が言える。
一人の少年の成長と孤独の物語。あすなろ、っていうのは、あすなろう(明日なろう)の意味らしく、そういう名前の檜があるようです。
戦争をはさんで、「あすなろう」と前を向いて背伸びしていった人々が温かくてさびしい。
井上靖の小説では本人の幼少期の体験に根ざした話が好き。あと会話文のきちっと定まった緊張感が凄く好き。


「泣いていたのか」
「悲しいことがあれば、誰だって泣くわ」
「悲しいことがあったのか」
「そんなものあるもんか」
男の子の口調で言って、
「さあ、真直ぐに歩いて行くの。背後を見たらきかないわよ」 『深い深い雪の中で』


ああ青春の泥臭さ。決定的瞬間の積み重ねがある絶対値を指すとして、その値にプラスをつければ生になり、マイナスをつければ死になるというような。そんなシンプルで緊張感のある話。



良い瞬間を記すということについて
・ 山崎ナオコーラ 『論理と感性は相反しない』
・ ジョン・アップダイク 『同じ一つのドア』
・ 柴崎友香 『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』

『論理と感性は相反しない』の表題作の幸福感には打ちのめされた。その場で巻き戻って二度読んだ。
変な言葉は使っていないのに、男と女の会話文がクライマックスにくるだけでこんなに幸せになれる。
少し暗くて少し明るくて少し笑える、へんな話。

アップダイクは初めて読んだ。一気に読めた。
ここにある生活感にはかなり暗いものがある。それだけクリティカルなものを感じる。ところがそこへ火を灯す。小さく燃える。
アンディ・ウォーホールの言葉に「誰もが人生で五分間だけスターになれる」的な言葉があったように思うんだけど、
アップダイクの短編はその五分間を描いている。その、限定的な五分間を切り取っている。という事は、周囲には、
絵画の額縁のように、その五分間に収まれなかった、余白がある。
『鰐』は素晴らしい。きゅっと胸をしめてくる。悲しいはずなのに悲しくない。それはその直前に最良の瞬間があったから。
全体的に暗雲のような雰囲気が垂れ込める『明日が、そして明日が、またその明日が』の中にあって、
嘘をついた生徒の瞳に希望を見つけてしまう姿とか、美しい。

「次の町まで」について。柴崎さんは『移動』という事について書くことが多いように思う。あるいはワープ。
ある場所からある場所へふっと移動する。その軽やかさ。あらゆる景色を後においてふわっと飛ぶ。それが切ない。
高速道路で昼夜をまたいだ長距離の移動、途中で立ち寄る温泉、そして深夜のサービスエリア。
何がいいといえば、そのどれをもないがしろにしない、全ての瞬間に対して超がつくほど適当に見えるくせに実際は超がつくほど真剣な登場人物たちの姿。
軽やかに生きているが、決して軽いわけじゃなく、皆それなりに真剣なのだ。文字を読み、心が軽くなった読み手が、彼らの姿に空気のような軽さを見出して救われているわけだ。

「音のしない光だけの雷は、とても綺麗だった」という文章がやたら印象に残っている。



幻に恋焦がれることについて
・ キース・ドノヒュー 『盗まれっ子』
・ フリオ・コルタサル 『悪魔の涎/追い求める男』

『盗まれっ子』はヨーロッパなどに伝承として残る『取替え子』伝説を題材にした現代ファンタジーで、久しぶりに熱にうかされるようにして読んでしまった長編小説。なんだかこれは別の機会にどこかに書きたいと思うのだけれど、
何が面白かったのかといわれたら、結局のところ、ファンタジーっていう題材の扱い方に、日本のものとは全然違う脈を感じたからで、そこに新鮮さを感じたんだと思う。
大人向けのファンタジーというか、そもそも完全に大人を対象とした「読み物」であって、美しい描写と緊張感のある音楽的な構成、散りばめられた名言がきちんとかみ合って駆動しており、
これは「逃げ場」としてのファンタジーではなく、優れたSFがそうであるように、現実に対してクリティカルな要素を持たせるためのファンタジーなのだと思う。

話としては、ゴブリンに取り替えられた少年と、その少年に成り代わって生活することになったゴブリンの話。
お互いに過去を奪われ、自分にあるべきだった生活を一方は取り戻そうとし、もう一方は忘れようと勤める中で、
一人と一匹はそれぞれの現実の中で自分というものを「再構成」していく。

コルタサルについては、もともと短編がとても好きだった。深みをぎゅっと圧縮したような短編をまた読みたくて手に取った。
同時期にカフカを読むと面白い。
『占拠された部屋』と『南部高速道路』が特にいい。歪められた現実の中で行き場を探すものたち、という設定を作っておいて、何かに脅かされるものの不安、そして決定的に抗いようの無い運命に対しての敗北。そんなものを描く。
幻想というものを持ち出しておきながらのこの切迫感。
幻想を、甘える事の出来るものとして扱わずに、何か自分たちを突き動かすものを示すための一つの記号みたいに描くのが面白かった。


あがきながら生きることについて
・ ハ・ジン 『すばらしい堕落』
・ フランツ・カフカ 『審判』

『すばらしい堕落』の原題は「A good fall」。
在米中国人の生活と孤独を描いた短編集。孤独というと壁にきりで穴をあけるようなわびしさを一見連想するのだけれど、
この人の描く短編では孤独がどこかユーモラスだ。微笑ましいというのとも違うけれど、
例えばギャグアニメか何かで誰かが殴られるのを見ても怖いと思わないのは、その人が絶対に死なないと分かっているからだと思うが、この短編にはそういう「この人たちは絶対に大丈夫だ」と思わせるような、安心感がある。
在米中国人の現実は、描かれる限りは結構現実的に逼迫していて、困窮のどん底にある。英語を喋れるわけでもなく、
祖国から遠く離れ、友人もおらず、何より金が無い。
客観的に見たらヤバイ事に違いは無いのだけれど、これはやっぱり描き方によるところが大きいのだろうけれど、大丈夫だと思わせる力がある。
あるいはこれは応援の気持ちかもしれない。
『すばらしい堕落』の「fall」は、物語の中で生活に切羽詰って本当に投身自殺を図る僧のことを指している。落下と堕落のダブルミーニングで、堕落というのは、僧として生きていた彼が俗世で生きることを選んだから。
彼らは皆、どん底というターニングポイントに臨んでいる。変化して、身を切って、過去を捨てて、なお生きようとするその姿がgoodなわけです。

『審判』をこの「すばらしい堕落」の後に読むと、なんだか作品の方向性は全然違うのに、どこか似ているような空気を感じる。
『審判』はかっこいい話でした。いうまでもなく。迷宮のようなシステムに絡めとられるKと、そのシステムが糾弾してはいるものの一切その正体が明かされない彼の『罪』。
Kはいわれのない罪で法的に訴えられ、法廷に借り出され、全く分からない裁判所というフィールドで、その現場のルールを学ぼうとあがき、また学ぶことで現状への打開策を考えようとするも、結局は突然殺されてしまうわけです。
この『罪』は、何を指しているのでしょうね。
Kは運命に殺されたという風にも読めますし、その罪は、社会的な罪ではなく、もっと根源的な、人間としての原罪みたいなものだったんじゃないかと思うと、この裁判所とそれをめぐる空間が、妙に超現実的で地獄めぐり的な様相を呈していることにも一定の納得がいきますが、納得がいったからといって理解できたわけではなく、結局はこの『審判』という作品の出口はまだ見えてこないままなのです。


ノンフィクション

旅と共に生きることについて
・ 椎名誠 『地球どこでも不思議旅』

楽しそうでいいじゃないですか。この紀行文が真に迫るように思えるのは、ある程度ちゃんと旅先について文句を言っているからだと思う。観光会社が発行しているパンフレットとは違って、現場にいかないと分からない不満と感動とを、そっくりそのまま伝えてくれるから、読んでいて痛快。


食と共に生きることについて
・ 石井好子 『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 

瀟洒。大分前に発行されたものの文庫版らしい。前というのも本当にかなり前で、グラタンとかが日本ではまだ一般化していない時代の、パリ帰りの方が語るパリ料理の本。
何でそんなものを買ったのか、そして読みきったのかというと、この方が語るパリが美しかったから。
生活の中に、しっかりと食というファクターがあるという事。誰かと一緒に何かを作る、そして食べる、それが思い出になる、町のそこかしこに記憶として残る。そんな連鎖に対してのいとおしさがあふれ出ています。ぐつぐつと。
解説でも書かれているけれど、料理についての文章は、ちゃんと食材に触れて、自分の手で何年も作り続けているかそうでないかによって、淡白さが全然違う。この方はその意味でこなれている。しっかりと食べ物に触れている。
そしてそこにあった、人々との和やかな空気にも、ちゃんとした眼差しを持っている。
朝吹さん(サガンの訳をされた方)と紅茶を飲む話が好きです。


職と共に生きることについて
・ 西村佳哲 『自分をいかして生きる』 
・ BRUTUS合本 『真似のできない仕事術』

要するにワークはライフワークであったほうが「絶対に楽しい!」という事ですね。
人生を通じてやれというのではなく、生活の中にスムーズに組み込まれているという意味で。
それは先ほどの食事の話にも似ていて、自分をつくり、自分を育てていくという、自分にとても近いところにある要素としての職。
真似ができないのは当たり前で、そういう形で熟練した人の仕事術には、その人の姿がそっくり出てくるのですね。
西村さんの本はちまたの仕事術的な本とは違って、生活と仕事を語る「論」で、どう生きるかという事についての話が多いので面白いです。


悪と共に生きることについて
・ ロバート・ホワイティング 『東京アンダーグラウンド』

戦後日本史の光と闇を語った本は数あれど、それを外国人の視点から記した本はあんまり無いんじゃないだろうか。
闇市から始まって、勃興していく日本の姿を、裏社会を引っ掻き回したイタリア系マフィアの視点から語る。
驚くほどの経済成長を遂げる日本で、力をつけていくやくざ達。
そんな彼らと近いところで大胆に生きるマフィア、ザペッティ。
日本語がろくに話せずとも、、プライドと勢いで戦後社会の荒波を泳いでいくザペッティは、日本に長居する事で、やがて『菊と刀』的な義理人情の世界が衰退していく様をも、その目に焼き付けていく。
経済システムにうまく取り入り、法と知識を武器になりふり構わぬ悪行を繰り返す非道なやつ……とは、一体誰だったのか。
老いたザペッティが『恥を知れ!』と叱責した日本人とは誰だったのか。
激しく変わっていくアンダーグラウンドの中で、異色の存在として居残り続けた男。
日本が獲得し、同時に失っていったものの姿が、そんな外国人の生き様を介してあぶりだすことで、却って新鮮に映し出す。


システムが複雑化していって、そこに穴が埋まれ、穴を縫うように悪が生まれ、その事でさらにシステムは複雑化する。
そういう、なんだかおぞましいものがはるばると自分たちの頭上に広がっているという事を、なんとなく、こういう本を読んでいて感じる。
コルタサルはそれを幻想を用いて描いたし、カフカはそのまま迷宮として描いた。
そしてアップダイクのように、この暗くおぞましいもののために、ぽっと灯る炎が美しく見える事もまた事実だったりする。
ただしそれは簡単にはそうならなくて、ちゃんとした手順と、努力と、根気がいる。灯ってもすぐに終わってしまうかもしれないし。
まあそれもまたそれでいいじゃないかという風にも思えたりするわけで。


なんとなく、物語で鍛えられるのは、「終わる」事に抵抗することの出来る想像力じゃないかという気もする。


読んだものをこうしてざっと並べてみてみると、自分が好んでいるものの系統が分かるような気がするけれど、
ある種の「おぞましさ」みたいなものを好んで摂取しようとしているような、そんな感じがいたします。
読んだ本の殆どに、その根底に暗い川みたいなものが流れているような気がしていた。
だからといって、暗い物語はあまり無かった。徹底的で意味不明な暗闇にたった一分でも明かりを想像する事が、人間には出来るのだと思う。


  1. 2012/05/05(土) 01:21:33|
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

最近の読書

こんなのを読んだ。

フィクション
いしいしんじ『白の鳥と黒の鳥』
南木佳土『ダイヤモンドダスト』
清水義範『迷宮』
尾崎翠『第七官界彷徨』
長嶋有『パラレル』
柴崎友香『わたしがいなかった街で』

ノンフィクション
野地秩嘉『サービスの達人たち』
池澤夏樹『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』


どれも大変満足した。
日本人作家が多い。そういう時期だと思う。

本の読み方だけではなく、知識の取り入れ方全般について試行錯誤していて、
極力、連続性を意識した収集方法がいいのではないかと思い始めた。
偶然にもこの中には歴史に関する本が多い。


『パレオマニア』は、大英博物館の展示品を各章ごとにピックアップして、
そのルーツを辿って現地に赴き、展示品の背景にあった文明的下地や精神を取材していく本。
マニアを自称するだけあって一個一個の作品が実にマニアックなのだけれど、
その小さな一つを入り口に、大きな『文明』に対峙していく試みが面白くて、読み応えがあった。
そして東西問わず、様々な文明を追っていくことで、気候的条件や土地の有様、政治体制、宗教観というファクターが、どれだけ一つの文明の精神に独自色をつけていったのかを知る過程がスリリングだった。
人類は根本のところで似通ったものを持っているのに、「なぜ」変わっていったのか、という話。

基本的に共通しているのは、どの時代のどの土地の人も「都市」=物質的文明にこだわったところ。
この「都市」という言葉は、言葉だけを取り出してみると実に漠然としていて、何か巨大な入れ物のような印象を与える。
「サービスの達人たち」という本は、実はぜんぜんサービスの真髄の話とかはしていなくて、そういう意味ではタイトルの設定ミスではないかと思うけれど、
巻末の解説で書かれているようにこれは「東京」という都市が高度経済成長期を通じて失ってしまった、
人々の些細で幸福な生活の証を、主に「今は廃業したサービス業」への取材を通して明らかにしていく本。
昭和という時代のもつ強い明るさと、陰になって浮かび上がる怪しさが見えてくる。
都市の繁栄と凋落の歴史は人間一人ひとりに織り込まれている。
古代の人はそれを芸術に残した一方で、東京の人々は、それを技という形で残した。
見えないけれど残っている。
世界一といえるような靴磨き職人や、電報配達人の話なんかは、味わい深い。
ここで描かれる職業は、殆どがもう今では残っていない。
失われてしまった伝統芸術のように見える。


職業、といえば、
『ダイヤモンドダスト』は、実際に医者として働く作者が、自らの経験を投影して(多分)書き上げた物語。
『パラレル』は、妻と離婚し、男独り身生活を自由に謳歌する元ゲームデザイナーの物語。
どちらも「働く」という事が、生活、というか人生という歴史の枠組みに流れ込んできており、
その抗いがたさ、哀切、喜びとかを受け入れつつ、どこかでそれを誇りに変えつつ、
人として歩んでいくさまを描いた素晴らしい小説。
『ダイヤモンドダスト』とその他短編については、人の命の滅びが美しい自然を描く筆に淡く影を落とし、
緩やかで確かな時間の流れに任せるように物語を読み進めることで、その影から何かしら救われた気持ちになる。

一方の『パラレル」は、何が凄いといって殆どまったくスペクタクルが無いのに没頭してしまう文章であること。
特に、大過去と小過去と現在とが薄く折り重なって、それぞれの時間が互いを突き放し、認め合いながらゆっくり進んでいくこの感覚。
妻と離婚し、でもなんとなく彼女とは連絡を取り合い、仕事をやめ、でもなんとなく仕事の事は頭の片隅で考え、
そんな「なんとなく」がいくつも重なる小さな時間の連続、些細な言葉、風景、つまりは日常が
渾然一体となってある瞬間へ向かう。
その瞬間というのは、ゲームクリエイターである主人公が、新しいゲームの物語を作り出す時。
『ダイヤモンドダスト』が滅びをそのまま描くなら、『パラレル』はそれを逆再生で描く。

『第七官界彷徨』も、時間の流れを味わうという意味ではこの二つの作品と一緒に読んだ時の相性がとても良かった。変な家で過ごし、恋をして、それが終わり、また新しい恋が始まる、という筋書きは、
しかしその中に精神病や植物学、音楽などの強烈なモチーフを織り込んで、独特な「変な家」感を強くし、
かつロマンチックにゆれる。
「生まれたものが滅び、また生まれていく」という過程の美しさが胸を打つ。
始まりと終わりの地点を設けて、この移ろいを「物語」としてパッケージングする、作品になる、そして語る、という、そういう手法は、「時間」の表現の仕方としてとても優れているんじゃないかなあと思った。
フィクションだけれど、人が生きた事が、歴史として保存することの出来る、その可能性みたいなもの。
主人公の少女は詩を書こうとする。自分の恋の詩を作ることを望む。
そういう形で、小さな歴史が物語として立ち上がってくる。


ここで、『迷宮』が、その「物語」というやつに疑問を投げかけてくる。
一見誰の目にもシンプルに見える殺人事件が、様々に角度を変えて見えていくことで、どんどんと立体化し、迷宮に変化していくおぞましさを描く。
この角度とは、まず被害者の供述、メディアの報道、週刊誌の騒ぎたて、そしてそれらをドキュメンタリーとして追っていこうとする作家の筆、様々な形での「言葉」がそれにあたる。
「言葉」を使って現実を一つの形に落とし込み、単純化するという事は、つまり「言葉」という技術が複数並んで立ったとき、それだけ多様な物語が発生してしまう。
それでも現実を一つの形にはめ込もうと試みる事の滑稽さ。ミステリーというよりは文芸書で、文芸書の割には、なんだかブラックジョークをかまされた気分になる一冊。
つまりは言葉を「どう」読むか、という事を挑戦的にたたきつけながら笑う小説。


これらを読むあいだ、ずっと平行して、「私がいなかった街で」を読んでいた。
新潮に書き下ろし掲載されたもので、この号は311特集号という事もあり、
また柴崎友香はこの小説を311以後一年かけて書き上げたらしく、
物語を読む読者の頭に311という巨大な前提を状況的に与えつつも、311はこの小説では直接には語られない。
ただ、この小説では「戦争」という形で描かれる巨大な「災厄」、そしてそれを客観的に「見るもの」として立つ主人公の姿は、その時、そこに「いなかった」とはどういう事かを、かなり静かな口調ながらはっきりと物語っているように思う。
その災厄は決して一過性のものではなく、目を瞑っていれば通り過ぎて戻ってこないものではない。大きな歴史の中で度々起こってきた。度々。ある瞬間にそこに「いなかった」という事は、大きなスケールでのみ起こるものではなく、途方も無い数、この世界で起こっている。
「いなかった」という言葉で想起される、知らない風景が、今この瞬間の目の前の生活に風が吹くように作用してくる。そのために日常が脆くなる。そこには確かな繋がりがある。
『私は、かつて誰かが生きた場所を、生きていた』という、この小説の終盤でつづられる文が印象に残る。


たとえば『白の鳥と黒の鳥』は、この繋がりみたいなものを寓話的に、時に明るく、時に怪しく描く、
出色の短編集だと思うけれど、ここでも生と死は完全に断絶していない、というような世界観が根底にあるように思う。
あえていうならば、生が静かになっている状態を死と便宜的に呼ぶ、というような考え方。
『パレオマニア』で描かれるように、歴史がその声を完全に失っているわけではなく、はるか地表から、何かの形をとって現れることがあるように、時間の流れの中で失われたと思ったものが、とてもはかない形で再び人の目に触れるという事は、蘇りというのではなく、帰ってきたという言葉の方がふさわしいかもしれない。失われたわけではない。または、滅んだものをそのように見せる事で、再生する事が文字の力なのかもしれない。

『夜と霧』は旧版が名著として大変長く読み告がれてきたが、新版を、ここであえて新訳するという発刊形態に何かしら強い意志を感じる。強制収容所を体験した心理学者が、極限の状態の中で見据えた生の根源的な「力強さ」の記録は、決して特定の条件化でのみ説得力を発揮する内容ではない。
たとえば今のこの複雑な世の中であってさえ、十分に読む人に作用する力を持った本だと思う。
そこにあるのはとても普遍的な訴えだ。この本を読んでも元気が出るわけでも、勇気が出るわけでもない、でも確かに何か物凄いものを学んだという気になるし、それはこの先何かのタイミングで心のシステムとして動き出す。
ここ数年間で読んだ中でも特に素晴らしい本だった。絶賛するには時間が足りない。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」という名文の力強さ。
とにかくいい本だった。古いとか新しいとかいうのは、いい作品の前にあってはあまり関係ないんだと思う。
  1. 2012/04/02(月) 23:36:56|
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

見たり聴いたりしたもの。

最近見たり聴いたりしたものの覚え書き。


『ドラゴン・タトゥーの女』

最近見たわけでもない気がする。
原作は世界的ベストセラー。なんだかミステリーでここまでのヒットを飛ばした作品というと
「ダヴィンチ・コード」を思い出すけど、作品としてはあれとはまったく別のベクトルなんだと思う。
読んだら間違いなく徹夜しちゃいそうだから読んでないけど。

出版社「ミレニアム」に勤めるジャーナリストが、
背中にドラゴンのタトゥーを持つ超有能(変人)ハッカーとタッグを組み、
40年以上前の失踪事件と猟奇殺人事件の謎を追う。
というのが大まかなあらすじ。



正統派ミステリーといえば正統派ミステリーだし、
異色といえば異色だという気もする。

ドラゴンタトゥーの女ことリズベット含めた、登場人物の人物造形がとても巧みなので、
ここに引っかかるとぐいぐい連れて行かれる。

物語にゆっくり近寄っていって、ある地点から急にスピードアップするという感じは、
ジェットコースターみたいで楽しくて、
話としての面白さはもちろんあるんだけど、
映像のスピード感と、刺激が強烈な映画。
ひとつひとつの映像の洗練されたような、無駄をそぎ落としたような感じと、
理性的にキーンと研ぎ澄まされた空気感、次から次へと出てくる映像の連なりの緊張感、
これは小さな画面で見るにはもったいないくらい贅沢な映像体験でした。
特にOP。
最高の音響設備があるところで見たら、もう忘れられないと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=oaFyp3jdlYE

『ヒューゴの不思議な発明』

マーティン・スコセッシの3D映画。
パリの駅に住む少年ヒューゴが、父親の残したからくり人形を修復する過程で
様々な人と交流していく、という話。
と書くと地味な話に聞こえるが、実際結構地味な話で、
3D映画だからといってアクションに走るわけでもなく、人情が中心になっている。

なんというか海外版ALWAYS三丁目の夕日みたいな。
時代設定が第二次世界大戦直後で、出てくる人々が皆、何かしらを失った過去を持っており、
そこからくる孤独から誰かを求めたり、あるいは突き放したり、という行動が
とても押し付けがましくなく描かれている。
もともとは児童文学か何かを原作としているのだろうけれど、
その辺、大人を射程に入れつつ、子供の目にしっかりと残る物語を作るというバランス感覚が凄い。

結構3D映画は劇場で見てきているのだけれど、この作品は本当に「3Dでしたかった!」っていう
意気込みみたいなものが伝わってくると、方々でも言われているし実際に見てそう思う。
駅構内やパリの町並み、巨大な機械の造形、小さなお店のディスプレイなど、
「奥行き」という表現方法が加わったことで、2Dと完全に差別化された映像になっている。
具体的に言えば空間の臨場感。まさにそこにいる、という感じ。

そして「そこにいる」という感覚が、単純な映像実験の結果として出てきたのではなく、
きちんと話の上で必然性のあるテーマになっている。
映画史の中で、初めて映画がスクリーンに写された時、
汽車がホームに滑り込んでくるというそれだけの映像だったのだけれど、
その映像を見た観客が「汽車が飛び出してくる!」と慄いた、というエピソード、
そこにある驚きや、わくわく感みたいなものを再現しようという愛情が
この映画そのものの根底にあるような気がする。

http://www.youtube.com/watch?v=jSJ71pX3RdE



最近借りたアルバムで、
Rake「First Sight」
moumoon「15doors」
の二つがよかった。
今更って感じもするけど、良かった。
Rakeは「100万回のI Love You」が好きだったので、
moumoonは「Sunshine girl」も「chu chu」も好きだったので、
やっぱりCMの力ってでかいよなあーと思う。
どちらもいい意味で代表曲の印象を覆すようなアルバムで、
Rakeは歌声の力強さとか、メロディーの隙のなさでぐいぐい聴けた。
聴いていてだらけるところがなくて、パワフル。
楽器での演奏と歌声の、素材の良さを活かしてぶつけてくる感じ。

moumoonは、さらりとして聴き心地のよい、という印象を最初に持っていたのだけれど、
実はさらりではなく、ぐっと奥深いところまで入ってくる、
凄く積極的な曲が多くてびっくりした。
「青い月とアンビバレントな愛」なんかはもう完全にCMの印象とは真逆。
夜を流れる深い川を思わせる、迫力のある美しさがある。
ささやき系だったり滑らかに力強かったり、変幻自在の歌声が
電子的な味わいのある音と、アコースティックな静けさが溶け合った湖面に漂っていた。


最近買ったアルバムでは、
アコミク with VOCALISTがこれまた良かった。
有名なボーかロイド楽曲を、実力派歌い手の歌声と、バンドの生演奏でアレンジしたもの。
何も知らずに聴いたらボーカロイドのボの字も浮かばないと思う。
全体としては特にジャズとボサノバの色が濃くて、
アレンジ含めて、しっかり時間をかけて音を熟成させたという感じがする。
いってみれば手作りコーヒーみたいなアルバムで、
素材から何から厳選して、とてもゆっくりと丁寧に音を選んで楽器を弾いて、
全体に緩やかな時間の流れを提供するようなアルバム。


  1. 2012/03/22(木) 00:19:53|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

雑談:iPhoneとデザインと初音ミクの脱走

1、

先日ようやっとiPhoneデビューを果たした。

前から変えよう変えようと思っていて、そこに色々なチャンスやタイミングが重なったので、
機種変更ついでに契約会社まで乗り換えてしまおうと思った。

つまりは全面的に違う船に飛び移ろうとしたのだけれど、
そうは簡単に問屋が下ろさないらしく、解約するにあたって解約金が発生するのをすっかり忘れていた。
あと半年使い続ければ、一万近くもするその代金は発生しないと言うので、
しょうがないから、今は携帯電話を二つ持っている。
二つの船にまたがって乗っているようで、慣れるまでは時間がかかりそう。


ガラケーには嫌気がさしていた。
多分これは自分の機種が悪いと思う。あれは悪い買い物だった。
もっと悪いのは、携帯電話というやつが、四六時中一緒に過ごさなきゃいけない「ツレ」であるというのを、すっかり忘れて臨んだ買い物だったという事で、
いざ手にしてみれば、こんなに不器用で不器量な伴侶もない。
手放そうとすれば金銭を要求するときたもんで、まるで残念な結婚だった。


スマートフォンに乗り換えようと思った理由は、
「もっさりしたものを持ち歩いていたら自分ももっさりするんじゃないか!」
という危機感みたいなものに端を発する。
電話が出来ればいいと言うわけじゃない。電話とメールだけで世の中に繋がっていると言うのは、
「もったいない」と急に思った。
もっと色んな種類の繋がり方があっていいし、そういうものをどんどん積極的に求めていけば、
それなりに答えてくれるのが今のテクノロジィというやつなのだから、
自分が手にして触れるものには、もっと貪欲になっていいはずだ。

というか、情報は決して向こうからはやってこない。こちらから手を伸ばさないと良いネタには触れられないし、それならば手の数は二つ三つかそれ以上、千手観音みたいになるのが理想だろうと思う。

といっても、手が千本あったところで、わきわき動かすのが大変だったら話にならない。
「便利」というのは最低条件で、スマートであるか否かが次に気になる。
スマートという言葉はクールと仲がよく、クールはビューティフルと仲良しだ。
買い物とは、便利で素敵なものを手に入れるための戦いであるようにも思う。

そう考えると、例えばここに二つの、同じくらいの性能を持った機械があったとして、
秤にかけて重さを比べ、スペックを比較して数字の優劣を測ると言うのは、
買い物においては最終地点ではなく出発点だと言う気もする。

それが自分にとって素敵かどうか、という、かなり感覚的な判断をしなきゃいけないステージが次にやってくる。
あるいは、それを手にする事で自分の生活はどう変わるか。
その服を着る事で自分の見た目はどう変わるか、その靴を履くことで毎日散歩したくなるだろうか、
そんな数々の、他人にとってはどうでもよくて、自分にとっても些細な事。
ところがそういう隙間に取り入ってこようとするものは強力で、
色んなスマートフォンを見比べて考えた結果、iPhoneにしたのは
触りたくなるデザインだったから、という、凄く些細な事に尽きる。

触りたくなるデザインだった。
それならばどんどん触るだろうし、どんどん使うだろうし、
その事でどんどんネットワークに入っていけるし、
自分の活動範囲と視野は広がっていく。
「いいデザイン」の影響力というのは実は絶大なわけで、
何せ埃を被せたくないし、手元に置いておきたくなる。
「触れる」事がまずあって、そこに「便利」って意味が発生してるなら、
それこそ快適だと思う。
製品や構造や、もっといえばサービスとか、デザインの話がどんどん入ってきていい領域だと思う。
デザインセンスからくる物の計り方を養いたいなあと思う今日この頃。


あとはやっぱりイメージの問題で、ちょっと憧れていたところもあるし。
これはCMとかのパブリックイメージに影響されたところが多いと思うけれど、
広告の上手な企業はこういうところで強い。
それを買った時の自分の日常の変化を鮮やかにイメージできるようにしておく、というのは
いざ二つの商品を前に並べて迷った時に、想像力の行き先を予め確保しておく事に繋がる。
それと、「かっこいい」とか「綺麗」とか「かわいい」みたいなシンプルな感動の優先順位を高くしておくのは、
買い物に限らず何かを選ぶ時、選んだ事を後悔しないための方法として、実は凄く大事なんじゃないかと最近考えている。



まあ、まるでアクセサリーを買ったような気分になりつつもあるけれど、
便利な上に装飾的とくれば言う事はないし、
持ち歩きたくなるに違いない。
この商品は、それが無駄にならない技術を備えている。
今のところ満足している。


2、

Pixivで連載しています。

初音ミクの脱走

不可欠なものが何処かにいってしまうというのは恐ろしい。
脱走!
  1. 2012/02/28(火) 01:02:17|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

初音ミクで二次創作

人生二番目の二次創作。

初音ミクの二次創作を書いてみました。
テーマは「ネットワーク」と「作り手」と「少女」。
書きたい事を書きました。

そのうち続きを書きたい。


初音ミクの解体


初音ミクだと最近はこれが好きだった。
google chromeのCM。これ凄く的確だと思うんですよね。

http://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q


  1. 2012/02/25(土) 00:10:46|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

borogove

Author:borogove
本と映画と日々のことについて書きます。

たまにやる気が出ると動画を作ります。

こういう場で喋るのは苦手です。

たまに思い出したように小説を書きます。

最近のマイブームはつけ麺食べた後の汁。



作ったり関わったりした動画→

http://www.nicovideo.jp/my/mylist#/9585484

Twitter→フォローリムーブお気軽に  
http://twitter.com/brgove

FC2小説(たまに書く)→http://novel.fc2.com/novel.php?mode=ttl&uid=3572221

最新記事

月別アーカイブ

最新コメント

最新トラックバック

カテゴリ

未分類 (10)
日記 (60)
映画 (27)
音楽 (14)
本 (36)
TDR (9)
動画 (5)
一言 (17)
アニメ (2)
小説 (10)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード